赤米について
「古代米・赤米」の歴史
「赤米」は、「古代米」と呼ばれる「むかしのイネが持っていた特徴を色濃く残すイネ」の一種です。赤米は縄文時代に日本に最初に伝わった稲と考えられています。江戸時代以降に品種改良がさかんになるまで、赤米は各地で栽培されていました。
しかし、味が劣り、倒れやすいといなどの理由で遠ざけられるように。明治時代に品種改良が進み、農地からは姿を消していき、在来品種の赤米は幻の存在になっていきました。結果、全国的に見て、在来品種のジャポニカ種赤米稲は「神様にささげる米」として特別に作っていた3か所の神社でしか生存していないとされていました。
しかし、1997年(平成9年)に東日本の東京都国分寺市の陸稲畑で、色や形の特徴などから品種改良されていないとみられ、ジャポニカ種に分類される赤米稲の存在が確認されました。この赤米こそが、当プロジェクトが栽培をしている「武蔵国分寺種赤米」です。
通常の白米と比べて背丈が高く(高いもので160~170cm)、外殻に芒・(のぎ・のげ)と呼ばれる針のような長い毛があります。これは、風に乗ったり、動物の体にひっついて遠くに種を飛ばしたりするためです。脱粒性が高い(種もみがポロポロと落ちやすい)ので、人間都合でいうと「育てるのが大変」ですが、それだけ植物としての繁殖力が高いとも言えます。4月末に種をまき、7月には開花し、10月頃に収穫をするという極早生種で、急速な成長が特徴です。陸稲で育てられていたので、水田でなくてもよく育ちます。
また、稲の花は、開花のときに雄しべが外側に見られ、雌しべは内側にあって見えないものがほとんどなのですが、この赤米は雌しべが見えやすいという特徴もあります。
収穫できた種籾を、翌年また蒔きます。それを繰り返していくことで、その土地に根ざした、その土地に適応した種として適応、固定化していきます。この赤米は、見つかった以前から育てられてきているでしょうし、その時期からすでに23年が経過しています。ぼくたちが種を紡ぎだして3年目です。
赤米の性質・特徴
野生稲の種子の多くが赤褐色であることから、赤米は米のルーツであり、また赤飯の起源であったと考えられています。種類にもよりますが、陸稲としても水稲としても栽培できます。
稲穂の一粒一粒に針のような長くて赤い芒(のぎ)を持っており、これによりすらっと背が高くなります。野生種に近い原始的な稲のため、とにかく元気で丈夫。生命力が強く、荒れた土地で肥料や農薬などを与えなくても丈夫に育ち、乾燥と低温によく耐え、病気や自然災害にも強いです。
農業を経験したことがない一般の人も、バケツ1個に土と水さえあれば、ベランダで育てることが可能なほど、簡単に育てられる植物です。
また、ポリフェノール、たんぱく質、カルシウム、マグネシウムなど、高い栄養価を含んでいます。
赤米は米飯で食べることが基本ですが、菓子類、麺類、酒類などの食品へ加工することもできます。さらに、食品以外でも紙や布へ色を着けて着色をすることも可能です。
日本に4品種しかない
「古代米・赤米」
現在、日本国内で在来品種とみなされる
赤米はたったの4つです。
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- 総社種赤米稲
- 岡山県総社市の国司神社に伝えられてきた、神饌用赤米在来品種。赤褐色の籾で、鮮やかな紅色の長い芒があります。
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- 対馬種赤米稲
- 長崎県対馬市の多久頭魂神社に伝えられてきた、神饌用赤米在来品種。茎が太く、穂があまり垂れない特徴があります。
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- 種子島種赤米稲
- 鹿児島県種子島の宝満神社に伝えられてきた、神饌用赤米在来品種。ジャヴァニカ種ではないかという説もあります。芒は白い
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- 武蔵国分寺種赤米稲
- 東京都国分寺市東恋ヶ窪で見つかった陸稲稲赤米稲です。7月には早くも出穂する超早稲種で、茎が人の背丈ほども伸びる野性的な赤米稲です。乾燥にもよく耐えます。