国分寺赤米プロジェクトとは

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国分寺赤米プロジェクトとは

― 自然とともに生きる ―

国分寺赤米プロジェクトでは、2018年より、国分寺市内や周囲のご縁をいただいた土地で、在来種「武蔵国分寺種赤米」を育てています。
水田に加えて陸稲(おかぼ)でも。自然と共存しながら農作物を栽培する「自然農」というやり方で取り組んでいます。
都市の一角でお米づくりをするということは、私たちの日々の暮らしのリズムが、自然のそれと重なり合うということです。暦でいうならば、旧暦の二十四節季。そして、日の出・日の入り、月の満ち欠けのリズム。雨、風、雷……。
さらには私たちのご先祖様が長い年月をかけて育てきた、お米づくりにまつわる食であり生活の文化、さらにはそれらが織りなす土地の風景を感じることでもあります。
お金に頼りすぎるのではなく、自然に関わりながらその恵みを少し分けてもらう。心技体を尽くすその大変さとよろこびは、ぼくらに感謝の心や謙虚さ、そして少しの安心感をもたらしてくれます。
そのことに、私たちはまちの仲間と一緒に取り組んでいます。1人の情熱がまた別の1人の情熱に火をつけ、また1人1人と、気がつけばそれは数十人のチームへと育ちました。これは1人ではできないことが、力を合わせることで可能になるのだということを教えてくれているように思います。
これまでも、これからも、計画的にというより自然の流れに身を任せるようにして、歩んでいけたらと思っています。

活動概要

育てているもの
「武蔵国分寺種赤米(あかごめ)」と名付けられたお米を育てています。
赤米は、「古代米」と呼ばれる「むかしのイネが持っていた特徴を色濃く残すイネ」の一種です。赤米は縄文時代に日本に最初に伝わった稲と考えられています。江戸時代以降に品種改良がさかんになるまで、赤米は各地で栽培されていました。しかし、味が劣り、倒れやすいといなどの理由で遠ざけられるようになり、明治時代に品種改良が進むようになってからは姿を消していき、在来品種の赤米は幻の存在になっていきました。
そんな中、1997年、国分寺市東恋ヶ窪で、原種(品種改良されていない種)とみられる赤米(あかごめ)の種籾が見つかりました。これは、とある農家の方が、昔から変わらぬ栽培方法で種を守り続けてきたことによってもたらされた奇跡的な出来事でした。
国分寺赤米プロジェクトではその種籾を受け継ぎ、育てています。
つくっている人
1997年に種籾が発見されて以来、国分寺では赤米づくりへの試行錯誤が続いていました。
そうした中の2018年、胡桃堂喫茶店のスタッフの1人、坂本浩史朗の呼びかけで「国分寺赤米プロジェクト」が動き出しました。農業の経験は一切なく、田んぼや畑へのつながりもない中、たった1人の思いから始まったプロジェクトでしたが、出会った1人1人のご厚意や応援から少しずつ道が開け、その実現を共に担ってくれる仲間たちとも出会い、1段1段階段を登るように、赤米づくりが形になっていきました。
2019年からは「チーム赤米」として、1年を通して継続的に農作業を担ってくれるメンバーを募ったところ17名が参加。その報酬はお金ではなく、収穫した赤米や地域通貨といった範囲なのですが、暑い日も寒い日も土砂降りの日も、日々畑に入り、ともに赤米を守り、育ててくれました。そのメンバーの多くは2020年も継続し、新しいメンバーも迎え入れながら新しい年がスタートしています。
赤米作業風景

赤米の育て方

赤米畑

その土地の自然に寄り添いながら、農薬、肥料を用いず、土を耕さず、水もまかず、草や虫を敵としない、望む収穫物「だけ」が収穫できればよいと考えない、「自然農」と呼ばれる姿勢で取り組んでいます。
それは植物が自然の中で育つときの環境です。一見して雑草だらけと言われることもありますが、そうした草や土中の生物も含めた生態系の中で、いのちは共生関係を築くのです。人間は、そうした種であり自然の力を信じて、必要な後押しだけをします。

水分を保てるよう、稲の周りの雑草を刈って土の表面を覆ったり、風が強い場所の場合は、近くにある竹などで柵をつくったりもします。なるべくは購入するのではなく、その場にあるものを有効活用し、土に還らないビニールなどの資材は極力使いません。耕さないので、石油燃料を必要とするトラクターの重機なども使用しません。

赤米畑

育てた赤米の活用方法

秋に収穫した赤米は、年明けから胡桃堂喫茶店で「赤米定食」としてふるまわれます。長時間浸水させることで赤い色が水にうつり、白米と一緒に炊いたごはんはまるでお赤飯のようになります。新春の慶びを分かち合う、お店の風物詩となっています。
また、2019年には焼き菓子「赤米のフロランタン」を商品化しました。赤米を香ばしく炒って、くるみ・アーモンド・カシューナッツとキャラメリゼしたものを、クッキー生地にトッピングしています。ポリポリ、サクサクとその歯ごたえが楽しめるお菓子です。
収穫後の稲わらも大事な収穫物です。束ねて、お正月用のしめ飾りにもなりますし、翌年の畑づくりのための副資材にもなります。
赤米を染料として手ぬぐいを染めたり、赤米を使ったビールや日本酒づくりに取り組んだり、その活用方法はどんどん広がっていっています。

赤米

これまでの実績

国分寺赤米プロジェクトとして赤米づくりに取り組み始めたのは2018年から。初年度は、約600㎡の土地で、約80キロの種籾を収穫しました。
2019年は、国分寺市内で3か所約1,300㎡(西恋ヶ窪、北町、西元町)、市外で3か所約300㎡(小金井市、国立市、山梨県北杜市)、計6か所、約1,600㎡の畑で赤米をつくりました。市内の3か所はいずれも、畑に直接種籾をまく陸稲(おかぼ)で育てました。市外の3か所は水田です。秋には、種籾で約180キロの赤米を収穫しました。 2020年も、場所の入れ替わりは少しありましたが、やはり計6か所、約1,600㎡の畑で赤米を育てています。

まちとのつながり

2019年11月23日、国分寺・本町南町八幡神社で「赤米祭」を開催しました。その年の農産物をその土地の氏神様へと捧げる新嘗祭にて赤米を奉納し、祝詞を挙げ、玉串を捧げる神事が実現したのです。これまでにもこうした式に参加することはありましたが、自分たちで育てたお米を、育てた仲間みなで一緒になって神様へと奉納する。その儀式におけるひとつひとつの所作や、祈りを捧げる1人1人の後ろ姿に、一年間の苦労もオーバーラップし、胸が熱くなる時間でした。

また2019年は、国分寺市立第四小学校の5年生約130人が、総合学習の一環でバケツ稲での赤米づくりに取り組んでくれました。秋の収穫時には、育てた赤米を使って、みなでおにぎりパーティも開催しました。ほんの数粒であったとしても、1から自分の手でお米を育て、それをおいしくいただくという経験は、どんなに言葉で「お茶碗に米粒を残しちゃいけません」と言うよりも雄弁にこどもたちに届くのではないかと思います。
バケツ稲には、小学校だけでなく、まち中でたくさんの人々がチャレンジしてくれています。その奮闘や途中での不安、よろこびの進捗がSNS上で頻繁にシェアされます。身近なところから簡単に始められるバケツ稲の仕組みは、誰しもが小さな生産者となれる可能性につながっています。

赤米奉納

5つのテーマ

自然と関わりながらまちの仲間と育んでいるこの活動には、絶対的な理念があるわけではありません。
それでも2018年、国分寺赤米プロジェクトが始まったとき、呼びかけ人である坂本から発信されたのが「5つのテーマ」でした。

種を守ること

国分寺で見つかった古代赤米を育てることは、この地の固定種(在来種)を守ることにもつながります。種を守り多様性が保たれることは、この地球の豊かさを守ることにもつながります。

失われた水田を国分寺で復活させる

昔は豊かな田園風景と、良質な水があった国分寺。蛍も水田で飛び回っていたそうです。今は国分寺市内にはなくなってしまった水田を復活させ、蛍が住めるような環境づくりもしていきたいと考えています。

感謝や祈り、目には見えないものへの
想像力をはたらかせる

古代から、赤米は神饌(しんせん)と呼ばれ、神様に献上していたお米とされています。神仏や感謝や祈りといった目に見えない部分にも心を寄せることは、人もまた自然の中で生かされている一部であると感じられる心を取り戻すことでもあるのでしょう。

消費者から小さな生産者へ

小さくても自ら食物を育て生産者になることで、自然への敬意が育まれ、食物のありがたみをより一層感じられるようになるでしょう。
食に限らず、エネルギーや道具なども、小さく生産することはできるかもしれません。このプロジェクトが、消費や生産について考えるきっかけになったらと思っています。

自然農であること

地球にやさしく、自然と共存していくために、農薬や化学肥料を使わず、できるだけ何かを外から水田・畑に持ち込まないようにしています。
便利なもの、効率の良いものは、もしかしたら人間以外のいのちには、負荷を与えてしまっているのかもしれない、そんなことを考えるきっかけになれればと思います。

赤米でつくる

大切に育てた赤米を、まちの仲間たちの手によって、お菓子や手仕事ものにいかしてもらっています。
そのプロダクトのご紹介と、作り手へのインタビューをご覧いただけます。